大工道具に生きる / 香川 量平
90/160

民俗資料館の厠長泉寺の東司90化して、名を「金かなやまひこ山彦」という。この神は鉱山の神であるが、次に小便をしたが、これが神と化して、名を水罔女という。次に大便をしたが、これが神と化して埴山姫という。この女神は田や畠の神で、粘土を使って祭器を作っていたという神である。小便より生まれた水罔女(罔象女とも書く)は水が走るという意味を持ち、潅漑用水で田や畠を潤す水の神で、大工の棟梁たちは今もこの女神を「火伏の神」として厚く信仰している。また「不浄金剛」とも呼ばれる「烏うすさまみょうおう枢沙摩明王」という仏様は、すべての不浄や悪を焼き尽くして障害を取り除くという誓願を持っているところから、厠を守護する仏様として信仰されている。厠は神と仏によって守られている。 建造物の中で便所ほど名前を多く持つものはなく、厠は川屋が転じたものである。「雪せっちん隠」と呼ぶのは昔、中国の福建省福州の「(雪峰)義存禅師」という人が、一生懸命に便所を掃除して、とうとうその中で悟りを開いたので、誰言うとなく、そこを雪隠と呼ぶようになったそうである(これには諸説ある)。下手な大工を雪隠大工と今も呼ぶ。また将棋で王将が盤の隅に追い詰められることを「雪隠詰め」と呼ぶ。戦国時代の武将であった武田信玄は、難を逃れるために、六畳間の便所を作り、また雪隠が長かったという。織田信長の雪隠が長かったのも有名であった。両武将とも雪隠の中で戦の作戦を練ったといわれる。しかし信長は遠方の作戦ばかり練り、近くの作戦が練れず、命を早く落としたのは残念な話である。 昔、祖母が「梅うめがえケ枝」の手ちょうずばち水鉢、叩いてお金が出るならば、と唄っていた。「手水」という呼び名も便所のことで、「手水所」「手水間」「手水場」「手水舎」などの言葉が今も残っている。また禅寺では、便所のことを「後こうか架」と呼ぶ。僧堂の後に架け渡して設けた洗面所で、その側に便所があり、「ごか」とも呼ぶ。また「東とうす司」とも「東とうちん浄」とも呼ぶ。伽藍の東の方位にあるのでその名がある。西側の方位にあるのを「西せいじょう浄」と呼ぶ。昔に大陸から伝わったという持ち運びのできる便器を讃岐では「おまる」と呼ぶ。昔、中国大陸で日本人が「おひつ」と間違ったというのは有名な笑い話である。 我が国の御婦人は便所のことを「御不浄」とか「御手洗い」と上品に呼ぶ。西洋では水洗便所のことを「Water Closet」と呼び、「WC」と略している。また「Toilet」と呼ぶのは化粧室を指すのだが、便所の上品な呼び名でもある。我が国では「トイレ」と略して誰もが呼んでいるが、この上品な呼び名は日本人好みである。また昔から数多くの呼び名を持つ便所も、「トイレ」という言葉に将来統一されることだろう。 昔から、我が国には便所に関わる俗説が全国各地に数多くある。昔、便所を掃除するのは家の妊婦とされていたのか、よく掃除すると美しい子供が産まれ、怠って汚くしていると不具の子が産まれたり、禍が起きるという俗説がある。また、便所の入る前にはノックするか、咳ばらいをして便所の神を驚かすな。入って頭

元のページ  ../index.html#90

このブックを見る