大工道具に生きる / 香川 量平
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国宝の本山寺(吾妻造)93関、戌いぬい亥の蔵」という言葉である。辰巳というのは風水で東南の方位で、玄関が東南に向いておれば大吉で家運が上昇すると考えられている。また、戍亥は風水で西北の位置を指す。この方位に蔵を建てると財に富むと言われてきた。 昔の長者は風水で蔵の位置を知り、建ててきたのである。昔、子供の頃に聞いた里歌がある。「こがねむしは金持だ、かね蔵たてた蔵たてた。子供に水飴なめさせた」という長者に対しての歌である。今も田舎には蔵のある家があるが、その人々は村人に対しての対話の中で蔵という言葉は決して使わず、遠慮してか物置と呼んでいる。蔵は土壁を手厚く塗り固め耐火構造となっているので夏は涼しく冬暖かいという利点をうまく利用し、現在、都会では昔の蔵の内部に柿渋などを塗り、改修して喫茶店などを営む店が結構、繁昌している。裏神様と昔から呼ばれる倉神様はさぞかし喜んでいることであろう。 私の隣町に四国霊場第70番の札所である七宝山本山寺がある。この国宝の本堂にまつわる伝説話がある。本堂は第51代平城天皇の勅願によって弘法大師が一夜にして建て上げたという伝説があるが、総桧造りの大きな本堂を一夜にして建て上げることはできない。大工の棟梁は京都で名高い宮大工であった。入母屋造りの本堂を建立すべく着々と木工事が進められたが、棟梁に何の魔がさしたのか信徒が寄進した桧の丸太で、棟木を一本通しにする約束をしたものを短く切り落としてしまった。継ぐことも取り換えることも出来ず、棟梁は毎日思案に明け暮れていた。それを陰ながらに知った棟梁の妻は、寺の御本尊である馬頭観世音に朝夕祈願し、素足でお百度参りを行ったところ、夢の中に本尊が現れ、入母屋造りを寄棟造にすれば棟木が短くてすむことを教えたのである。目覚めた妻は早速その御おつげ告を棟梁に伝えた。棟梁は大変に感激して「おお我が妻よ」と叫んだという。今も四国では寄棟造りを別名「吾あずまづくり妻造」と呼んでいる。四国に伝わる匠の伝説話である。 我が国の社寺建築の中で寄棟造で大きいものは東大寺大仏殿や唐招提寺の金堂であるが、梁間の大きな建物は入母屋造にすると美観が損なわれるので、昔の棟梁たちは寄棟造にしたのだと、福井の直井棟梁は私に説明した。現在の建売住宅には寄棟造が多くあるが、勾配がゆるく美観に欠けて見える。寄棟の尾おだるき棰は軒先より棟木に達するが、その尾棰勾配を計算するのに、昔から「七の矩」が使われる。仮に平勾配が4寸であれば、それに七の矩をかけると、2寸8分という尾棰勾配を知ることができる。 木造の日本建築で美しいのが千鳥破風入母屋造りの建造物であるが、神社や仏閣に多く、その美しさは世界に誇れる建物である。飛鳥時代、中国より韓国に、そして我が国に伝えられた建物と建築の技術は時代と共に日本人好みに改良され、木の国に相応しい建物が見事に建立され、現在、私たちの目を瞠みはらせている。この美観を持つ入母屋造りの建物は一般住宅にも急速に普及し、全国各地で見ることができる。しかし、平成時代に入り、木工機械による建物の加工が加能になり、昔から伝えられた我が国の建築技術を持つ大工職人が衰退の一途を辿るのは誠に残念な話である。 昔、私が田舎の農家で建てていた千鳥破風入母屋造りは別名八尾建てと呼ばれるが、この建物は尾棰が八本あるところから、この呼び名がある。本柱を風雨や

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