大工道具に生きる / 香川 量平
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釘抜き家紋のいろいろ(家紋帖より)エンマと呼ぶ釘抜き98 その42  目の錯覚と大工の嘘 私が幼い頃、家には腰の曲った祖母がいて寝起きを共にしていた。むし暑い夏の夜など蚊帳の中で「暑うて寝られん」と言ったら大きな渋団扇で扇いでくれ「心を落ちつけるんだよ、御伽話を聞かせてやるからな」と言って「黄泉の国(あの世)」の話を良く聞かせてくれた。どんなに頭のよい人でも、どんな大金持でも、どんなに偉い人でも黄泉の国からお迎えが来ると、火の車に乗らねばならない。そして着いたところが寂しい山裾で「死出の山」という大変に険しい山道を越すのであるが峠を越えると、ゴーゴーと濁流が渦を巻いて流れている「三途の川」に行きあたる。持たせてくれた「六文錢」を渡り錢に払って着いたところが「賽さいの河原」で大勢の子供たちが、一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為と呪文を唱えながら石を積み上げ石塔を作っている。見事にできている石塔を悪い鬼たちが次々と壊しているが、子供たちはまたせっせと石を積んでいる。この河原で子供たちは父や母が来るのをひたすら待ち続けているのだと祖母は良く言った。 そして賽の河原を通り過ぎると、真っすぐな一本道だが薄暗く、四十九日かけて「閻魔庁」に出頭せねばならない。履かせてくれた草履と脚絆の紐を締め直し杖を頼りにようやく閻魔庁に辿り着き、長い石段を登りつめ大門を潜り抜けた時には草履はすり切れ素足となっている。戒名に院号をいただいた者は館に入って休んでいるが院号のなき者は霧雨の降る石畳の上で蹲り、呼び出しの時を待たねばならない。呼び出されて閻魔大王と初対面するが大きな体と赤い怒り顔には驚く。笏しゃくと閻魔帖を持ち、鉄の沓くつを履き雷が鳴るような大きな声で「浄じょうはり玻璃の鏡かがみ」の前に立つよう命ぜられる。その大きな鏡には人間の生前における善と悪の所業のすべてが映し出される。生前に神や仏を崇拝し、父母に孝行し、兄弟仲良く、妻や子供を愛し、一切の悪事を行わず、真面目に働き、世の為、人の為に尽した人でも多少の罪悪はあるが、巡礼となり、四国八十八ヶ所の霊場をすべて打ち終えた者は「弘法大師」の法力により、その罪のすべてが消されるのだという。そして閻魔帖と照し合せ、善人と判断させると極楽浄土へと生れ変って行くのだ。また鏡に悪事の数々が映し出されると大王に押し倒され鉄の沓で胸を厭という程踏まれて、雷が鳴るような大きな声で「お前は地獄行きだ」と怒鳴られ、鉄沓の先で鬼たちが大勢いる地獄の谷底へと蹴落されるのだと祖母は毎回言ったが、その頃私はもう深い眠りについていた。 生前、人様にすこしでも嘘を吐いた者は、あの世に行って閻魔大王に舌を抜かれる話は誰もが幼い頃から祖母や母から良く聞いているが、大王が亡者の舌を抜くという道具は、昔から大工が使ってきた挟む釘抜で、その伝説話によりこの大工道具が「えんま」と名付けられ、今も古い大工道具店に行けば「えんま」と呼ばれて売られている。家紋に大王が舌を抜くという「えんま」を丸に三つ組合せたものがあり、角型の座金の中央に角穴があいている家紋は、昔の太い和釘を抜く時に用いる釘抜であるという。釘抜の家紋は昔の武将が「九くき城を抜く」と呼び、九つの城を落城させるという戦勝の縁起をかついで、この家紋を多く用いたといわれる。 大工は弟子(見習)の頃より「嘘」という言葉を良く使ってきた。この言葉は大工の「隠語」で、その仲間のみで通用する「かくし」言葉である。世の中には

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